「うちの子、家ではずっとゲームをしているんです」
不登校支援やeスポーツ教育に関わっていると、ゲームに対する保護者の不安を耳にすることがあります。
勉強をしているわけでもない。外に遊びに行くわけでもない。
部屋でゲームをしている姿を見ていれば、
「ゲームばかりしていて、この先大丈夫なのだろうか」
と心配になるのは自然なことだと思います。
もちろん、ゲームをしていればすべてが解決するわけではありません。ゲームとの付き合い方によっては、生活リズムなどへの注意も必要です。
一方で、私は教育現場に関わる中で、ゲームのまったく別の側面も見てきました。
それは、ゲームが家から外へ出る理由になり、人とつながるきっかけにもなるということです。
そして私は、この「人とつながる」という部分にこそ、eスポーツ教育の大きな可能性があると考えています。
不登校の子どもは約35万4千人。問題は「学校へ戻すこと」だけではない
文部科学省の令和6年度調査では、小・中学校の不登校児童生徒は35万3,970人。過去最多となっています。
不登校を考えるとき、「どうすれば学校に戻れるか」という話になりがちです。
しかし、実際にはもっと手前の段階があります。
そもそも家から外に出るきっかけがない。
私はこれまで自治体の不登校担当者などと話をする機会がありましたが、支援する側が場所やプログラムを用意しても、本人がそこまで来られなければ支援につながりません。
だからこそ重要になるのが、
「行かなければならない場所」ではなく、「行ってみたい場所」をどうつくるか。
その一つの選択肢になり得るのが、ゲームやeスポーツです。
週2回eスポーツ施設を開放したら、登校率が約5割から約9割になった
私がこの可能性を強く感じたきっかけとなった経験があります。
所属組織が運営するeスポーツ施設を、週2回、フリースクールの生徒が利用できるようにしました。
そこにはゲーミングPCなどがあり、生徒たちはeスポーツを楽しめます。
結果として、そのフリースクールでは、それまで平均約5割だった登校率が約9割まで上がりました。
もちろん、これは一つの現場で起きた事例です。
「eスポーツを導入すれば登校率が9割になる」と一般化することはできませんし、登校率の変化すべてがeスポーツだけによるものだと証明したデータでもありません。
それでも、現場にいた私にとって、この変化は非常に印象的でした。
なぜなら、
「ゲームをするためなら行ってみよう」
という気持ちが、子どもが外へ出る最初のきっかけになっていたからです。
でも、本当に面白いのはここからです。
最初は「ゲームに会いに行く」。でも、そのうち「人に会いに行く」に変わる
私は、eスポーツの価値は単純に「ゲームが好きだから外出できる」ということだけではないと考えています。
重要なのは、その先で人間関係が生まれることです。
たとえば、初対面の人と同じ空間に入って、
「何か話してください」
と言われたらどうでしょう。
大人でも困ります。
まして、人とのコミュニケーションに不安を感じている子どもなら、なおさらハードルは高くなります。
ところが、間にゲームがあると状況が変わります。
「何のゲームやってる?」
「ランクどこ?」
「一緒にやろう」
ゲームを始めれば、
「右から来てる!」
「ナイス!」
「次どうする?」
といった言葉も自然に生まれます。
「コミュニケーションをしよう」と思わなくても、同じ目的に向かってゲームをしているだけで、コミュニケーションする理由が生まれる。
ここが、eスポーツの面白いところです。
最初は、
ゲームがしたいから行く。
そこから、
一緒にゲームをする人ができる。
さらに、
その人に会いたいから行く。
へと登校する理由が変わっていく可能性があります。
私はこの変化を、
「好き → 居場所」
への変化だと捉えています。
eスポーツで育つのは「ゲームの腕前」だけではない
eスポーツ教育という言葉から、「ゲームが上手くなるための授業」を想像する人もいるかもしれません。
しかし、教育として考えたとき、私はもっと広く捉えています。
たとえばチーム型のゲームでは、
- 状況を見て判断する
- 味方に必要な情報を伝える
- 相手の話を聞く
- 役割を分担する
- 負けた原因を考える
- ミスした後に気持ちを切り替える
- 改善策を考えてもう一度試す
といった行動が何度も発生します。
これは、社会に出てから突然必要になる能力ではありません。
学校生活でも、仕事でも必要になる力です。
私が関わる教育現場では、こうした力を大きく**「思考力」「コラボレーション」「レジリエンス」**と捉えています。
たとえば、チームで負けたとします。
「なぜ負けたのか」を考えるのは思考力。
「次はこうしよう」と仲間と相談するのはコラボレーション。
そして、負けた後に切り替えてもう一度挑戦するのはレジリエンスです。
ゲームの中では、これらが数十分のうちに何度も発生します。
だから私は、eスポーツを単なる「教える内容」ではなく、社会で必要になる力を実際に使う練習環境として見ることができると考えています。
「コミュニケーション力が上がった」ではなく、何が変わったのかを見る
ただし、
「ゲームをすればコミュニケーション力が身につく」
と考えるのは少し危険です。
ゲームをしているだけで、すべての能力が自然に伸びるとは限らないからです。
だから私が教育現場で大切にしているのが、抽象的な能力ではなく、具体的な行動の変化を見ることです。
たとえば、
「コミュニケーション力が向上した」
だけでは、何が変わったのかよく分かりません。
それよりも、
「以前は一人で黙ってプレイしていた生徒が、自分から味方に敵の位置を伝えられるようになった」
と表現した方が、その子の成長が見えてきます。
学校生活でも同じです。
「学校に居場所ができた」
ではなく、
「学校へ行くか迷った日にも、『一緒にeスポーツやろうよ!早く来て!』と言ってくれる友達ができた」
と考える。
私は、こうした小さな行動変化に教育的な成長が表れると思っています。
ゲームを「入口」にして、ゲームの外へ広げていく
そして、eスポーツ教育で最も大切なのは、ゲームの中だけで教育を完結させないことだと思っています。
ゲームが好きなら、その「好き」を起点にすればいい。
ゲームが好きだからPCに興味を持つ。
好きなプレイを残したいから動画編集を覚える。
大会を開きたいからイベント企画を学ぶ。
海外のプレイヤーと遊びたいから英語を使う。
戦績を分析したいからデータに触れる。
つまり、
ゲーム → PC
ゲーム → 動画編集
ゲーム → 英語
ゲーム → データ分析
ゲーム → チームコミュニケーション
と、興味を外側へ広げていくのです。
「ゲームをやめさせて勉強させる」のではなく、
「ゲームが好き」という本人がすでに持っているエネルギーを、次の学びへつなげる。
ここにeスポーツ教育の大きな可能性があります。
だからといって「ゲームは何時間やってもいい」わけではない
一方で、eスポーツの教育的価値を語るなら、リスクについても触れなければいけません。
WHOはICD-11で「ゲーム障害」を位置づけています。
ただしWHOも、ゲームをする人すべてが問題を抱えるわけではなく、ゲーム障害はゲームをする人の一部に生じるものと説明しています。
大切なのは、
「ゲーム=悪」
でも、
「ゲーム=教育に良い」
でもないことです。
見るべきなのは、ゲームがその子の生活の中でどのように機能しているかです。
睡眠や食事などの日常生活を崩しているのか。
それとも、人とのつながりを生み、新しい活動へ参加する入口になっているのか。
同じ「ゲームをしている」という行動でも、その意味は大きく違います。
だから教育側にも、ただゲーミングPCを置くだけではなく、
ゲームから人へ、人から学びへ、学びから社会へつなげる設計
が必要なのだと思います。
「ゲームばかりしている」の中に、次の一歩が隠れているかもしれない
「ゲームばかりしていて大丈夫?」
そう思ったとき、すぐにゲームを取り上げるのではなく、一度違う問いを持ってみてもいいのかもしれません。
「この子は、ゲームの何が好きなんだろう?」
友達と遊ぶことなのか。
勝つために戦略を考えることなのか。
PCを触ることなのか。
動画を見ることなのか。
大会に出ることなのか。
そこが分かれば、その「好き」を別の世界へつなげられる可能性があります。
私は教育現場での経験から、eスポーツの可能性を、
好き → 居場所 → 挑戦 → 社会との接点
という流れで捉えています。
もちろん、すべての子どもがこの通りに進むわけではありません。
それでも、最初の一歩が「ゲームをしたい」でもいい。
ゲームをするために家から出る。
そこで誰かと「ナイス!」と言い合う。
次の週もその人に会いに行く。
そして少しずつ、自分の世界が広がっていく。
教育の入口は、必ずしも教科書である必要はない。
その子がすでに夢中になっているものの中に、次の学びや社会との接点が隠れていることもある。
eスポーツ教育の現場にいると、私はそんな可能性を感じます。


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